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神社とスピリチュアル


by さくら姫
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海を渡るみゃこ様

2012年9月4日(火)16:25
今日は能古島に行ってきました。福岡市西区ですが、船で10分も掛らない島です。
脊振のワークが終わり、山神様である龍神様は上に上られ一つの区切りが終わりました。

今度は能古島の白髭神社の龍神宮と海辺の龍の宮のワークになりました。
一人前の巫女様でないし、周りには亡くなった猫ちゃん達が犬ぞりならぬ猫ぞり出来る位いるので、船を降りて‘にゃご、にゃご’と歩いていたら白猫、黒猫の順にお猫様に会いました。

何故、金龍神様が能古島にと思っていたのですが、帰りの船の壁に書いてあった、「刀伊の乱」で合点がいきました。
金龍神様は、京都の下鴨神社よりこだまちゃんが封印されていたのをお連れした方です。
しばらく、九州上空を旋回されていて落ち着かれた先が、能古島の龍神宮です。
今後はお掃除やお神酒、榊替えで通わせて頂く事となりました。
それで、「刀伊の乱」ですが、検索したのをコピーします。

刀伊の入寇(といのにゅうこう)は、寛仁3年(1019年)に、遼配下の満洲を中心に分布した女真族(満洲民族)と見られる海賊船団が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件。刀伊の来寇ともいう。
(筑前というのは、福岡市西区の能古島です)
寛仁3年(1019年)3月27日、刀伊は賊船約50隻(約3000人)の船団を組んで突如として対馬に来襲し、島の各地で殺人や放火を繰り返した。この時、国司の対馬守遠晴は島からの脱出に成功し大宰府に逃れている。
その後、筑前国怡土の郡に襲来、寛仁3年(1019年)4月8日から12日にかけて現在の博多周辺まで侵入し、周辺地域を荒らし回った。
これに対し、大宰権帥藤原隆家は九州の豪族や武士を率いて撃退した。たまたま風波が厳しく、博多近辺で留まったために用意を整えた日本軍の狙い撃ちに遭い、逃亡したと記されている。
記録されただけでも殺害された者365名、拉致された者1,289名、牛馬380匹、家屋45棟以上。女子供の被害が目立ち、壱岐島では残りとどまった住民が35名に過ぎなかったという。[要出典]

以前に中国から侵略されて、日本の国は酷い目に合っていたのですね。
この時期に金龍神様が来られて、日本の守りにつかれたのか。
見える世界と見えない世界での防衛、守りは目の前につきつけられた大事な事。
お昼を食べた所では、テレビに石破茂前防衛大臣が出演されていました。
ちなみに、この石破氏、ちいねえさんによると色々な前世の一つがフランス革命の露と消えた方。
今世では、自分の信念を貫き通すと‘えいっ、やー’で生まれた方。得意の防衛で活躍して欲しいです。
自民、民主、人材は良いのがいるから、垣根を越えてこの国を何とかしろっ と叫びたいです。
橋下とおるちゃんはすごく期待しています。なにしろ、バックアップ軍団が凄いですから。神々様勢揃い。
写真は、福岡市西区の能古島、白髭神社の龍神宮です。
海を渡るみゃこ様_e0287115_16573059.jpg

by sakurakodama3 | 2012-09-04 17:04 | Comments(0)